今日は父の25回忌の法要でした。
実家の母と2人だけでお坊さんに読経をいただき、ひっそりと行いました。
父は肝臓癌を患い、診断されてから3ヵ月でこの世を去りました。
現代のように当時はまだ告知することが当たり前の世の中になってはおらず、父には最期まで癌であるということを隠し通しました。
黄疸、全身倦怠感、嘔気、腹水による腹部膨満・・・といった肝臓癌に伴う症状が日々日々増強していきました。
ある日、回診でインターンの医師に「〇〇さん(父)は、現代の医学では治らない病気です」と言われたと血相を変えて高カロリー輸液をさげたままタクシーに飛び乗り自宅に帰ってきたことがありました。
「わしは癌か?」と言う父に、母は「そんなはずはない。私はそんな話は聞いていない。」と泣きながら訴えたそうです。
そんな様子に父も一度は納得し病院に帰ってはくれたものの、常にイライラし食欲不振の中運ばれてくる食事をその場でゴミ箱に捨てていたといいます。
いつまでたっても良くならないことへの苛立ち、また本当のことを教えてくれない周囲への怒りもあったのではないかと今となっては思います。
もしかすると父は自分が癌であることを気付いていたのかもしれません。
告知しないという方向の中、父に癌であることがばれそうになったことに対し、当時10代で若かった私は病院側に憤りを感じ、院長室へ直訴しにいきました。
院長は「そんなことは絶対に言っていない!末期の患者さんはそういった心理状態になることがよくあることなんです!」と言われました。
その当時はよく意味がわからずにいましたが、看護師になってからその意味がわかるようになりました。
しかし父の言うことが本当だったのか、医師のいうことが正しかったのか、今となってはもうそんなことはどうでもよくなっています。
父の最期の日、朝から血圧が低下し、呼吸困難に陥りました。
決して穏やかな表情であったとは言えませんでした。
この数時間の間、私と母は父の側におり、手を握り「ありがとう」と声をかけることが出来ました。
しかし果たして父は死を「受容」し、息を引き取ることが出来たのかという疑問が未だに消えません。
本当のことを父に話し、父の心をサポートしていけていたなら、父はもっと穏やかな心で旅立てていたのかもしれません。
もし父の言うことが本当で“現代の医療では治らない病気”と告げられたことに対し、父はどんな絶望や孤独の中にいたのだろうか。
私達家族は癌という事実を隠し通すことにエネルギーを注ぎ、そんな気持ちを共有してあげることもできませんでした。
父の希望は「家に帰ること」。
しかしその願いもかなえてあげることができず終いでした。
セラピストとなって今思うこと。
告知して心からもっと本音で話をし、「家に帰る」という希望をかなえるために一緒に考えていけていたなら、今を生きることを支えていけていたのかもしれません。
看護師になったこと、そしてセラピストとして生きる決意をさせてくれたのは父のおかげ。
父の遺影をみながら、父に感謝の気持ちとこれからの役割への思いに胸が熱くなったのでした。
実家の母と2人だけでお坊さんに読経をいただき、ひっそりと行いました。
父は肝臓癌を患い、診断されてから3ヵ月でこの世を去りました。
現代のように当時はまだ告知することが当たり前の世の中になってはおらず、父には最期まで癌であるということを隠し通しました。
黄疸、全身倦怠感、嘔気、腹水による腹部膨満・・・といった肝臓癌に伴う症状が日々日々増強していきました。
ある日、回診でインターンの医師に「〇〇さん(父)は、現代の医学では治らない病気です」と言われたと血相を変えて高カロリー輸液をさげたままタクシーに飛び乗り自宅に帰ってきたことがありました。
「わしは癌か?」と言う父に、母は「そんなはずはない。私はそんな話は聞いていない。」と泣きながら訴えたそうです。
そんな様子に父も一度は納得し病院に帰ってはくれたものの、常にイライラし食欲不振の中運ばれてくる食事をその場でゴミ箱に捨てていたといいます。
いつまでたっても良くならないことへの苛立ち、また本当のことを教えてくれない周囲への怒りもあったのではないかと今となっては思います。
もしかすると父は自分が癌であることを気付いていたのかもしれません。
告知しないという方向の中、父に癌であることがばれそうになったことに対し、当時10代で若かった私は病院側に憤りを感じ、院長室へ直訴しにいきました。
院長は「そんなことは絶対に言っていない!末期の患者さんはそういった心理状態になることがよくあることなんです!」と言われました。
その当時はよく意味がわからずにいましたが、看護師になってからその意味がわかるようになりました。
しかし父の言うことが本当だったのか、医師のいうことが正しかったのか、今となってはもうそんなことはどうでもよくなっています。
父の最期の日、朝から血圧が低下し、呼吸困難に陥りました。
決して穏やかな表情であったとは言えませんでした。
この数時間の間、私と母は父の側におり、手を握り「ありがとう」と声をかけることが出来ました。
しかし果たして父は死を「受容」し、息を引き取ることが出来たのかという疑問が未だに消えません。
本当のことを父に話し、父の心をサポートしていけていたなら、父はもっと穏やかな心で旅立てていたのかもしれません。
もし父の言うことが本当で“現代の医療では治らない病気”と告げられたことに対し、父はどんな絶望や孤独の中にいたのだろうか。
私達家族は癌という事実を隠し通すことにエネルギーを注ぎ、そんな気持ちを共有してあげることもできませんでした。
父の希望は「家に帰ること」。
しかしその願いもかなえてあげることができず終いでした。
セラピストとなって今思うこと。
告知して心からもっと本音で話をし、「家に帰る」という希望をかなえるために一緒に考えていけていたなら、今を生きることを支えていけていたのかもしれません。
看護師になったこと、そしてセラピストとして生きる決意をさせてくれたのは父のおかげ。
父の遺影をみながら、父に感謝の気持ちとこれからの役割への思いに胸が熱くなったのでした。
